同人・インディーゲーム部会(SIG-Indie)第1回研究会「同人・インディーゲーム開発の現状と課題」の最中に考えていたこと

作ったとしても……

パネラーはノベルゲームとアクション系(動的ゲームと呼ぶそうな、初めて知った)という畑が違うように思える二つの陣営? から構成されていたが、発表したゲームが紹介されない、プレイされない、数多にある娯楽の中で埋もれてしまうという問題点は共有しているようだった。

そういう話だとゲーム製作者でない私でも少し分かる所がある。
ニコニコ動画でもそういう「埋もれ問題」があって、それに対処するために作り手たちが知恵を絞っている状況があり、それを見てきた。

ニコニコ動画における埋もれ対策は、寄せ集めを上手くパッケージングすること

埋もれ対策として最も有効、かつ人口に膾炙しているものが「イベントの企画」であり、なぜ有効かと言えば、参加作品の中のクオリティの高いものから他の参加作品に視聴者が流れるからだ。
参加作品の中に人気作品の二次創作、固定ファンがいる作り手がいれば、その動画が毎時ランキング入りする可能性があり、そこから遊動層が入りこみ、他の作品へと流れていく。
ただ人気の動画が現れても、普通それだけではそこから視聴者は流れていかない。しかしニコニコ動画には「イベントの企画」の方向性自体に興味を引く要素を持たせ、その全体を吸収しようという気にさせるような仕掛けと受容の文化がある。
それはニコニコのタグ文化と深く関わっている。

ニコニコ動画のエコシステムによるパッケージング

ニコニコ動画にはクリックしてみたくなるような変なタグがたくさんある。
例えば懐かし系の動画には「おっさんホイホイ」というタグが付いていて、その先には同じ性質を持つとされた動画がたくさん詰まっている。
あくまで十人十色のユーザーがめいめいの視点や気分で付けたものなので、これをおっさん向けとするか、と感心したり首を傾げたりするようなものもある。その単純でないのが面白かったりする。
ニコニコにおいてタグを作る・付けることはジャンル、グループ、文脈を作ることである。それを受けて動画が投稿されたり、MADが作られたりすることでタグに集う動画が増えていくからだ。そしてその効果はタグの出来が左右するとさえ言える。
例えば最近ニコニコで(MAD素材としても)人気のテニスプレイヤー松岡修造が、そのキャラに似つかわしくないネガティブな発言をしまくるというMADが長期にわたってランキング入りし、再生数を伸ばした。
それには「鬱岡修造」というネタ系のタグが付けられて、視聴者にウケけていた。私もそういう感じの(全く伸びていない)MADを一つ作っていたので、それに「鬱岡修造」タグを登録してみると、わずかではあったが再生もマイリストもそれまででは考えられない増加を示した。
かかる活況を呈すタグ文化があるからこそ、タグで統括する「イベントの企画」が成り立っている。

イベントの検索結果 - ニコニコ大百科
祭の検索結果 - ニコニコ大百科

動画をイベントタグで統括せずに、一つの動画にまとめるということもある。これは固定層が厚い、人気ジャンルで行われる傾向があるようだ。視聴者の負担が少なくて済み、全ての視聴者が一つの動画に集まるので盛り上がりが強くなる。
もちろんここでも、寄せ集めに文脈のようなものを持たせたり、参加者でコラボさせたり、単なる寄せ集めを「編集」して一つのものにする(全部見なければならないようにする)工夫があることは言うまでもない。

まぁ、このようなことは同人でも散々やってきたことなのかもしれないし、その先にある問題に今ぶち当たっているなら、むしろこっちが参考にさせていただきたいくらいだけれど。

それで。
そんなことを考えながら、しかし寄せ集めるという発想ではゲームの方にずっとラディカルな例があることにすぐに思い至らずにはいられなかった。「メイドインワリオ」シリーズのことに。

寄せ集めスタイルの手本としてのメイドインワリオ

あれは凄いじゃないか。一つのゲームは数秒で終わる。それを次々投入して、プレイヤーにゲーム自体を評価させる暇を与えない。ああいうスタイルを借用してしまえば良いのではないか。
議題に上がっていた「小さいゲーム」が生きる場である。ちと、小さすぎるが。しかし例えば長くなりがちなRPGみたいなゲームも、5秒したら次のゲームに移ってしまうような、大量のプチゲーム洪水の中で少しづつプレイさせるような、そんな形にしてしまっても良いのものしれない。
案外付いていけるような気がする。何かちょっと新しいゲーム性が出てきそうだし。

他に印象に残ったこと

後日