桝田省治のゲームは、そのコンセプトの面白げさとその実体たるゲームシステムのベースのオーソドックスさが俺の中で上手くかみ合わないということを再再認識。
「滅亡確定した星の生き物を保存する」とか「一族かけて敵を殲滅する」とかから明らかなように、彼のゲームは一個人や一生物を超えた視点においてプレイされるものであり、各々のゲーム部分はその視点から導きだされる目的のために処理されるものであるに過ぎないので、そのシステムがオーソドックスということは問題にならないし、彼も問題にしてないので、ああなっているのだろうが。
こういうコンセプト、超越的な視点を俺が面白げだと思う時、想定しているのはおそらくSLGの視点で、そこにオーソドックスなRPGが現われて面食らう、ということになっていそうだ。クォータービューでマウスオペレーションなゲームだったら評価も変わりそうな気がひしひしとするのだが。
翻ってみれば、自分がRPGで志向しているスケールは「等身大」とでも言うべきものなんだろうし、多分目的はPCの自己実現で、このスケールにおいて充実したシステムがないとRPGとして物足りないのだ、と言える。これは考えとかではなく、本当に志向なので、あまりろくでもないのだが、仕方ない。
最近意識しているのが、しっくり来ないことが面白くなるというか、食い違った形を楽しむ形式があるよなーということなので、そこらへんに当たりをつけてスタンスを調整してみるかという気分。というかこれを解決しないとまた次買って後悔するのが目に見えてるので。